先日”高島礼子の歴史番組”で諏訪大社を訪れ、この神社の大祝(おおほうり)を務めた諏訪氏に付いて解説していました。
この地に夏の間滞在する様になって,もはや15年が過ぎようとしています。諏訪御寮人の像が建てられている諏訪湖へ何度も訪れました。又茅野市には信玄の隠し湯などあり信玄ゆかりの地です
勿論諏訪大社4社も、高遠城址公園、高島城も桜の頃に2~3度訪れ、この地は私にとって、懐かしい処です。
それで、武田信玄が亡くなった後、勝頼が後継者になった時代を番組で紹介した内容を中心にまとめてみました。
長篠の戦:領土拡大を目指して2大勢力:織田&徳川勢と戦う。武田勢は惨敗し勢力は衰える。
岩殿城で再興を図ろうと韮崎の新府城を出発し、途中大善寺で戦勝を祈願して一夜を明かす。しかし武田の家臣は夜中に離散し、岩殿城主小田山信繁の裏切りに合い
勝頼と家臣は自決し500年続いた甲斐源氏もここに滅亡する。
国宝薬師堂
その一部始終を目撃した理慶尼が記した理慶尼記は武田滅亡記とも云われ、この大善寺に大切に保管されている。本堂の中に薬師三尊像を安置していますので、薬師堂と呼ばれています。
山梨県勝沼は蓼科からも近いので来年の夏にぜひ行きたいと思います。大善寺は宿泊も出来て、お料理も充実しています。(ネットで調べました)楽しみです
地元諏訪にも墓所と言われている場所があります。
岡谷市の小坂観音院には諏訪御料人の供養塔があります。供養塔であって墓ではないのですが、すっかり墓所だと思われています
井上靖の『風林火山』で由布姫(諏訪御料人)は信玄の側室となって勝頼を生み、その後、この観音院で暮らしたが、病のため25歳でこの世を去ったとされております