紫式部 & 清少納言

先日、市の公開講座へ行って来ました
講座のタイトルは「紫式部はなぜ清少納言を嫌ったのか?」です
復習の意味で(少しでも記憶に残りますように012.gif)ここに記載します

この講座の内容を復習しようとしていた矢先、偶然にもこの二人の才女についての記事が目に入りました。
「世界に誇ろう、日本女性ー平安時代の才女達」の記事を要約します
この記事は物理学者の、女子大学での講義録です
☆清少納言と枕草子
清少納言のプロフィール:966年生誕~1020年没
28才で中宮定子の女房(高級女官)として宮使いを始めた。中宮定子は父の道隆の死後、落飾し
定子の叔父にあたる道長の娘、彰子が同じく一条天皇の中宮として入る。
これを機に清少納言も宮使いを辞める。

紫式部が源氏物語で、清少納言が枕草子で、その才女振りを披露している。
紫式部のプロフィール:970年~1031年
父為時から学問を得,40代半ば藤原宣敬と結婚、宣敬との間に娘賢子誕生、
代わって彰子の女房役として入って来たのが紫式部・赤染衛門・和泉式部といった新しい才女達である。
紫式部日記の中で清少納言に対する批判は手厳しい。一つは清少納言の仕える皇后定子、紫式部の仕える中宮彰子との間の対抗意識があったからですが、性格的に見ても自分の才能を隠そうとしない清少納言を苦々しく思っていたに違いない
(清少納言こそは得意顔をして厚かましく立ち振舞いをする人だ。あれほど賢振り漢字などを書き散らしている様に見えても、まだ不十分な事が多い。・・・・・必ず見劣りし、将来は悪くなっていくばかりだ。
紫式部は漢字の素養があったにもかかわらず、わざと才能を押し隠し、それに対し清少納言は自分の才能を表に出し漢文の素養を押し隠す事をしていない。
日本では1000年もの前からすでに女性の社会進出に対する許容性が十分存在していた。
1965年版のブリタニカ国際大百科事典は、紫式部の源氏物語を「世界で初めての重要な小説」と、評している。
又枕草子のことを「最高のソフィスティケーションと魅力を備えた作品」と評している。
今回の公開講座に出席して紫式部と清少納言を身近に感じる事が出来ました。





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by maryroserose | 2016-10-26 16:10 | 読書

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