ローマ学:第2章 

第2章 かくしてローマは誕生した
ローマは18歳のロムルス青年によってBC753年に建国される。
ロムスの「3権分立」
ロムルスと共にローマ建国に参加したのは3000人のラテン人と呼ばれる人たちでした。彼らがようやく定住の地を見出したのが「空き地」として放置されていたローマでした。
彼は王政を、王・元老院・市民集会の3本柱によって支えるという制度を定めたのでした。
王は市民集会での投票によって決められる。その王に助言を行う機関が元老院でした。
37年に渡るロムルスの治世が終わった後も「敗者をも同化させる」ローマの発展は続きます
3代目の王はラテン人発祥の地アルバロンガの征服に成功します。この時もアルバロンガの民をローマに移住させ彼らに市民権や元老院の議席を解放します。
ちなみに、この時アルバロンガから移住し、元老院の議席を与えられた有力家門の一つに「ユリウス家」があります。この子孫の」一人がユリウス・カエサルです
244年間、7代続いた王制は」おわり、共和制が始まるのです。
第3章 共和制は一日にしてならず
王から執政官へ
追放した王の代わりになるべき指導者を置く必要があった。そこでブルータスが考えたのが
「執政官」(コンスル)。最高権力を握ると同時に指揮官として軍隊を率いる。
元老院は王政時代とは全く異なる重要性を持つようになる。
最高指導者である執政官と元老院の結びつきが強固に」なった。

この時代の歴史を振り返ってみますと、延々と貴族、平民の対立が続いたが、決定的な局面まで達しなかった。その理由の一つはローマの場合、貴族たちに強力な支持基盤がありました
パトロンとクライアントとなるこの関係は利害関係だけでなく「信義」であるというのがローマ人の考え方でした
つまり平民たちは貴族に不満はあっても、階級闘争までは過激化しなかったのです
ローマ、燃ゆ
BC390年ケルト人は大挙して南下を始め、ついにローマ国境まで達したのです。
ロムルスによる建国から363年、ケルト人の手に落ち、住み慣れたローマの町は燃えていった
7カ月に及ぶ籠城の末、ローマはケルト人と和平を結ぶ。彼らはローマ人が差し出した300キロの金塊を受け取るとさっさと引き揚げて行った。後に残されたのはわずかに生き残ったローマ人と廃墟と化したローマの町だけでした。3世紀に渡って成長を続けてきたローマは再びゼロからの出発をすることになりました
第4章 「組織のローマここにあり」
「ケルトショック」から立ち上がったローマ人達は再出発を果たす。かくして都市国家ローマの時代が本格的に始まったのです
BC270年ローマはイタリア半島を統一します
それからわずか6年後、ローマは地中海第一のカルタゴと戦端を開きます。以後130年に渡って続くポエニ戦争の始まりです。この戦役においてローマは最強のライバルに出会います。その男の名はハンニバル!
第5章 ハンニバルの挑戦




又、当時のローマは戦争に」明け暮れていました

延々と貴族、平民両者の対立が続く
[PR]
by maryroserose | 2016-03-20 10:53 | 読書

日々の暮らしぶりを書き留めます


by maryroserose
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る