皇帝フリードリッヒ二世の生涯   塩野七生著

先日図書館でこの本を借りてきました。上下合わせて600頁に及びます。
今までこのような歴史書は中途放棄で最後まで読んだためしがありません
それで、読んだ分ずつブログにまとめていけば、私の空っぽの脳にもすこしは
残るのではないのかな~と思います。
a0276402_15383682.jpg

第一章 幼年時代
フリードリッヒの誕生
シチリア王国の正統な継承者であるコスタンツァは32才の歳にときの神聖ローマ帝国皇帝だったフリードリッヒ一世の息子で21才だったハインリッヒと結婚していた。
1194年、後の皇帝フリードリッヒ2世は誕生する。厳格な宮廷の仕来りに従いコンスタンッアは幼子を女官長の侯爵夫人に託し侯爵の城の中で大切に育てられる。
ノルマン王朝
シチリア大国を手中にしてから3年目一人息子フリードリッヒの洗礼に立ち会ってから1年目に32才の若さで亡くなる。
母コスタンツア
ドイツでは空席になった皇帝位をめぐって、亡きハインリッヒの弟フィリップが早くも動き始めていた
だが、フィリップには強敵、ザクセン侯のオットーである。
未亡人になったばかりのコスタンツアには早急に解決するべき問題があった。夫が残して行った、シチリア王国の統治である。彼女が召集する王室最高会議に名を連ねるのは「シチリア王国内の重要都市を任地にしていた大司教たちだった。この人々には露骨な領土欲だけはなかったからである。
この後コンスタンツアはフリードリッヒを引き取る。この時幼子は3才になっていた。
1198年パレルモのカテドラルでシチリア王に即位する。だがそれから半年後1198年11月コスタンツアに死が訪れる。死にゆくコスタンツァが息子の後見人に頼んだのは法王インノケンチュウス三世である。
狼の群れの中の一匹の子ヤギ
後見人インノケンチュウスはこの時期第4次十次軍を東方に送り出すことで頭が一杯の状態であった
幼いフリードリッヒの成長は、事実上放任された状態で進んだ。
天涯の孤児になって以後の十年間「独立・独歩」で通すのである。当時の貴公子には必要不可欠なこと以外にも探求の分野を広げていった。言語の習得においてもドイツ語・イタリア語・ギリシャ語・アラビア語をマスターした。八百年後に彼と同じドイツ人の学者の評した「ドイツ人の君主の中で唯一」と言ってよい創造的天才」の基礎は四才から十四才までの孤児であった時期に成されるのである。
1208年叔父のフイリップが殺された。
ドイツでは強力な勢力であった皇帝派の視線がホーエンシュタウヘン一門の唯一の生き残りである一三歳に注がれることになる。
次回:「独立宣言」
by maryroserose | 2016-02-07 16:18 | 読書

日々の暮らしぶりを書き留めます


by maryroserose
プロフィールを見る
画像一覧
更新通知を受け取る