醍醐寺三宝院:世界文化遺産

昨年新聞の連載で「等伯」を読みましたが、この小説で安倍龍太郎は直木賞を受賞されたとか・・・
そこでもう一度読み返しました。今回も感動して下巻は一気に読みました。
等伯の障壁画を鑑賞したくて昨年11月には智積院を訪れましたが、
今回は醍醐寺三宝院へ行ってきました。
(三宝院の障壁画は霊宝館に保存されています)

★室町幕府三代将軍、足利義満の猶子で出家の満済が三宝院門跡に就くと室町幕府と、三宝院とのつながりは強くなり三宝院にとって最も栄華を誇った時代となりましたが応仁の大乱でこのような栄華も80年ほどで終焉を迎えます。醍醐寺と三宝院の復興が動き出すのは、室町幕府も滅亡した桃山時代の終わりを迎える慶長年間に入ってから。そして、その復興の立役者となったのが豊臣秀吉です。三宝院や伽藍の復興は秀吉亡き後も秀頼に引きつがれた。

★重要文化財の三宝院殿堂を、葵の間、秋草の間、勅使の間と廊下を歩いて見学、そしてその奥の表書院は国宝建築です
重要文化財の三宝院殿堂は、賀茂神社の葵祭を描いたふすま絵の葵の間、秋の七草が点在する風景を描いたふすま絵の秋草の間、そして勅使の間は長谷川等伯一派による桃山時代の竹林花鳥画のふすま絵で飾られています。

秋草の間・・・・・桃山時代の障壁画といえば狩野永徳(1543~1590)による檜や獅子、虎を被写体とした威圧感のある豪奢な作風が代表的であるが、長谷川派によるこの部屋はひっそりと風にたなびく多くの秋草は、自然との一体感とともに十分にわれわれの気持ちを静めてくれる。
等伯の死後長谷川派は途絶えてしまうが、その画壇に残した影響は大きく、狩野派もやがて小動物や草花といった大自然から見れば弱く小さな被写体を描くようになり、そこから近世日本絵画のひとつの潮流が生まれた
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唐門(国宝)
三宝院の勅使門。平成22年(2010年)約1年半かけて復元された。
黒の漆塗りで菊と桐の御紋が金色に輝いていました。

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三宝院表玄関(重要文化財)
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秋草の間
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表書院は国宝建築です。その表書院で名勝の庭園を鑑賞しました
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前回桜の頃にこの庭園を訪れましたが、
今回は静かに心ゆくまでお庭を鑑賞出来ました018.gif

































でも訪れる人が少なくて三宝院の庭園を心ゆくまで鑑賞出来ました。
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by maryroserose | 2015-10-23 16:07 | お出かけ

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